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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

トク・テムル (荊王)

ことを示しているのであろう、と述べている。 ^ 『元史』巻39順帝本紀2「[至元三年十一月]丁巳……詔脱脱木児襲脱火赤荊王位、仍命其妃忽剌灰同治兀魯思事」 ^ 『元史』巻39順帝本紀2「[至元四年十二月]庚戌、加荊王脱脱木児元徳上輔広中宣義正節振武佐運功臣之号」 ^

คำที่เกี่ยวข้อง

トク・テムル

トク・テムル(モンゴル語:ᠲᠥᠪᠲᠡᠮᠦᠷ、Toq-Temür、漢字:図帖睦爾、 1304年2月16日 - 1332年9月2日)は、モンゴル帝国の第12代カアン(元としては第8代皇帝)。第7代カアンの武宗カイシャンの次男。母はタングート部の人(タングート氏、文献昭聖皇后)で、明宗コシラの異母弟にあたる。

トク・テムル (ソゲドゥ家)

『元史』巻162列伝49劉国傑伝,「劉国傑、字国宝、本女真人也……。十六年、諸王脱脱木反、寇和林。国傑度其衆悉至、営中必虚、選軽騎襲之、獲其衆万計。脱脱木屡戦不利、又残暴、失衆心、衆殺之来降」 ^ 『元史』巻12世祖本紀9,「[至元十九年春正月]丁卯、諸王札剌忽至自軍中。時皇子北平王以軍鎮阿里麻里之地、以御海都。諸王

トク・テムル (スルドス部)

。剡有隠士呉君与公友善嘗謂、吾死得附葬於二戴無憾矣。逮其既卒貧不能喪公輟俸貲倡郷人葬於書院之側。其好義又如此。公為人廉介質直、不喜紛華、講閲之暇日与賢士大夫游清言雅論亹亹不倦懸車之後、養高城南闢斎閤懸弓剣著壁間聚古今図書、布列左右延名師教其子毎遇風日清美輙緩轡郊外徜徉竟日或幅巾藜杖命家童抱琴自随散

荊王

コンギラト部アルチ家 ナチン家(魯王/済寧王) チグゥ家(岐王/濮陽王/寧濮郡王) 系統不明(兗王/威靖王/安遠王/永豊郡王) その他 オングト部アラクシ家(趙王/鄃王/高唐王) イキレス部ブトゥ家(昌王/懿徳王) オイラト部クドカ・ベキ家(延安王)

オルク・テムル (斉王)

オルク・テムルが登場するのはイェスン・テムル・カーンの時代からで、泰定3年(1326年)に斉王位を継ぎ、金印を支給されている。また、翌泰定4年(1327年)には鈔二万錠を賜っている。 イェスン・テムルが亡くなると、カーン位を巡ってアリギバ(上都派)とトク・テムル(大都派)との間で内戦が勃発し(天暦の内乱)、元

トレ・テムル (楚王)

『元史』巻117牙忽都伝,「延祐中、明宗西出、脱列帖木児坐累、徙西番、没入其家貲之半」 ^ 『元史』巻117牙忽都伝,「明宗即位、制曰「脱列帖木児何罪、其転徙籍没、豈不以我故耶。其復故號、人民貲帑悉帰之」 村岡倫「シリギの乱 : 元初モンゴリアの争乱」『東洋史苑』第 24/25合併号、1985年 『新元史』巻110列伝7

荊

いばら。 うばら。 「~・からたちにかかりて/伊勢 63」

荊

(1)バラ・カラタチなど, とげのある低木の総称。 (2)(多く「薔薇」と書く)ノイバラ・ヤマイバラなどのバラ科バラ属植物の総称。 うばら。 うまら。 むばら。 (3)(中部・関西地方で)植物のとげ。 (4)(建築で)二本の曲線の出合った所にできるとがった形。 <i>~を負・う</i> 罪を一身に引き受けて苦難に耐える。 → 負荊

水トク!

『水トク!』(すいトク!)は、TBS系列で、水曜日の20・21時台での単発特別番組枠のタイトルである。 2006年10月18日から2008年7月16日までは、第1期として毎週水曜日の18:55 - 20:54(JST、以下略)に放送され、2012年10月3日からは、第2期として毎週水曜日の19:00

トク・ピシン

ピジン言語・クレオール言語には、バヌアツの公用語にもなっているビスラマ語やソロモン諸島で用いられるピジン語がある。 Melanesian English ニューギニア・ピジン語(New Guinea Pidgin English) ネオ・メラネシア語(Neo-Melanesian)

テムル

如智及王積翁等兩奉璽書通好日本、咸以中途有阻而還。爰自朕臨御以來、綏懷諸國、薄海内外、靡有遐遺、日本之好、宜復通問。今如智已老、補陀僧一山道行素高、可令往諭、附商舶以行、庶可必達。朕特從其請、蓋欲成先帝遺意耳。至於惇好息民之事、王其審圖之」 ^ 『鎌倉年代記』によれば国書は正安元年10月8日(1299年11月1日)、幕府に伝わった。

オルク・テムル (安西王)

^ 『元史』巻36,「[至順三年夏四月乙丑]安西王阿難答之子月魯帖木児、坐与畏兀僧玉你達八的剌板的・国師必剌忒納失里沙津愛護持謀不軌,命宗王・大臣雜鞫之、獄成、三人皆伏誅、仍籍其家」 杉山正明「大元ウルスの三大王国:カイシャンの奪権とその前後(上)」『京都大学文学部研究紀要』34号、1995年 『新元史』巻114列伝11

オルク・テムル (高昌王)

代から銭大昕の『元史氏族表』や屠寄の『蒙兀児史記』などはテムル・ブカ〜タイピヌ・テギン兄弟と同世代ではないかとする。 同じ頃、河南地方では韓山童が蜂起し、紅巾の乱が急速に広まりつつあった。そこで、至正12年(1352年)にオルク・テムルはウイグル兵(畏吾児軍馬)を率いて河南方面に出兵し、アラトナシ

荊棘

(1)イバラなどとげのある低木。 また, イバラなどの生い茂る荒れた土地。 (2)障害・妨げとなるもの。 困難。 「~の道」

荊冠

いばらの冠。 イエスが十字架にかけられた時かぶせられたことから, 受難をたとえる。

荊棘

※一※ (形動) 髪などがぼうぼうと乱れてもつれているさま。 「髪を~に振り乱した人が/薄命のすず子(お室)」 ※二※ (名) 草木が乱れ茂っている所。 やぶ。 また, 乱れ茂っている草木。 「おく山の~の下を踏みわけて/増鏡(おどろの下)」

荊棘

いばら。 うまら。 「からたちの~刈りそけ倉立てむ/万葉 3832」

荊妻

〔皇甫謐(コウホヒツ)「列女伝」より。 後漢, 梁鴻(リヨウコウ)の妻, 孟光(モウコウ)がいばらのかんざしをさした故事から〕 自分の妻をへりくだっていう語。 愚妻。 「僕~と共に貴国に航して/花柳春話(純一郎)」

荊棘

〔「うばら(茨)」の転〕 とげのある低木の総称。 いばら。